アンペルマンについて
アンペルマンとは!?
アンペルマンは旧・東ドイツ時代に誕生し、現在でもベルリンを中心に活躍している「歩行者用信号機」です。 60年代のモータリゼーションによる交通量の増加にともない、増える交通事故から歩行者を守るために、視認性に優れたこのデザインが誕生しました。 アタマでっかちの三頭身で、両手を拡げる「記号」としてのピクトグラムは、その光る面積も大きく「感情豊かに」歩行の停止を呼びかけます。 アンペルマンの「信号男」としての優れた点は、進行と停止を指示する意味を、青と赤の色彩による、単純な記号要素に置き換えただけでなく、表情や身振りによる非言語的要素を加えたことにあります。 絵文字による誰にでも理解しやすい信号は、子供や視覚異常の方、海外旅行者を含む歩行者の安全を守るにふさわしいカタチといえます。 1960年代、アンペルマンに代表される新しい標準言語としての「絵文字」は、1964年の東京オリンピックの案内シンボルや、その後の各地で開催される万国博など近代にまで受け継がれています。 アンペルマンは、ドイツで現在、交通安全のシンボルとして活躍するほか、ドイツ統一のシンボル、復活のシンボルなど、様々なシンボルとして活躍しています。 |
アンペルマンの歴史
アンペルマンは1961年10月13日に、旧東ドイツ時代の交通心理学者、カール・ペグラウによって生み出されました。 1990年のドイツ再統一後、旧東ドイツの生活用品、デザインなど多くの文化が消えていきました。 もちろん、アンペルマンが描かれていた信号機も撤去され、旧西ドイツの信号機にどんどん置き換えられていきました。 1996年にアンペルマンの持つデザインのよさに惹かれた旧西ドイツ出身の産業デザイナーのマルコス・ヘックハウゼンが、撤去された信号機を引き取ってライトを作りました。 このライトの反響は大きく、ベルリン市民を中心としたドイツ国内でアンペルマン復活の運動が起こります。 メディアもこの話題を取り上げ、1997年にアンペルマンの救出運動は実を結び、再びベルリンの交差点に復活しました。 1999年にマルコス・ヘックハウゼン(現アンペルマン社代表)はアンペルマンコレクションを立ち上げました。 キーホルダーやTシャツ、カバンなどアンペルマンアイテムが次々と発表されていきます。 2001年にはアンペルマン生誕40周年記念と共に、ベルリンのハッケイシャ・ホフ(Hackeacher Hofe)にアンペルマン・ショップをオープンしました。 現在ではベルリンを拠点に店舗、レストランなど拡大しています。 日本においても、2010年に東京の白金高輪に日本初のフラッグ・シップ・ショップとして、「AMPELMANN Shop 白金高輪」をオープンしたのに続き、2013年4月には、東京・渋谷に2店舗目となる「AMPELMANN Shop Tokyo」をオープンしました。 ドイツ本国の商品を販売するのと共に、日本オリジナル商品も開発・販売しています。 また、ショップ以外でも様々なスペースで「出張アンペルマン」と銘打ち展示販売などを行なったり、アンペルマンのストーリーに共感いただいた企業様や市町村とイベントやオリジナルデザインのアイテム開発などを行ったりと、日本でも、徐々にアンペルマンの輪が広がりつつあります。 |